武術による身心の調律

004身体動作の探究会は身体の調いが中心になっております。

つまりたとえ有効な技でも体の芯から外れた技は良しとしません。

正確な動きを自分で客観的にとらえ、相手の動きもしっかりと見て取れることが重要になります。

 

身心が調律された状態とは身体的には力みが消え、周りがよく見えている状態です。

自分のことしか見えない、または相手にとらわれすぎているというのは身心の技から外れることです。動作は正確丁寧を念頭に置き稽古されるものです。

 

普段人はさまざまなバランスで生きています。買い物をした時はその荷物を持ったバランスに身体は対応、し赤ちゃんを背負ったらその身体のバランスになります。剣を持てば剣を持ったバランス。

身体はそれらに対応し、身体が崩れないように保ちます。

このときに身心の調律ができていないとバランスを失い対応の利かぬ身体になります。

つまり人はさまざまなストレスに対応して生きているのです。

武術を稽古するというのは、そのもっとも大きなストレスを自ら進んで稽古するようなもの。

身体にかかる武術のストレスは日常のものとは異なります。日常剣を持つことはありません。

剣を持っただけでも身体はストレスを感じ、バランスを崩します。それを崩さないように対応が利く身体が調律された身体です。

 

DSC07241人の身体は一人で回復しますが、関わりのバランスが身に着くと互いが調律しあいます。

身勝手な人は相手を見ることができません、つまり自分の身体も見ることができないのです。

相手を正確に見、感じ、相手の芯を取ることにより、技になり崩すことができます。正確に崩された相手の身体は、正確に元に戻ります。以前より調いながら回復します。しかし相手の芯を取れないまま崩すと、それは調いではなく、回復もせず、その闘いの関係すら学びから外れます。

ですから動作するということは自分も生きているが、相手も生きているという学びの関係性をしっかりと心に持ち武術の稽古に臨むことなのです。