身体動作の探究会とは
正座や礼などの身ごなしは日本人の美しい心そのもの。
言葉は少なくともその振る舞いで心を伝えていた。
古より日本人の身体の使い方は理にかなった精巧なもので あった。
当会ではそんな忘れられた和の動きを探究し武術や舞、日常の何気ない動作からその本質を学びとることを稽古の中心としている。
風竹の武術
風竹の武術は流派ではない。伝承されている武術には敬意を払い学びとさせていただいてる。
風竹の武術は「人に内在する闘いの先に在る調和を学ぶ術と捉えている」。
身意動放(しんいどうほう)
身意動放 とは身体の心を動きにより解放する動く瞑想法である。
その動きにはよどみがなく、流れに沿うことを旨とし身心を解放へと導く。
「身体動作の探究会」誕生の歩み
動作というものに興味があったのはかなり昔のこと。
記憶をたどると幼稚園の頃「動く」という言葉を口ずさんでいたのを記憶している。動く・動く・・。
身体メソッドの門をたたいたのは18歳の頃。家族が治療家だったこともあり身体という存在が近かった。そこで数年身体について学ぶ。それから仕事をしながら稽古に通った。仕事も忙しくなり稽古をやむなく去ることになった。
それでも身体についての熱意が消えることはなく、身の回りの治療家の方の繊細な動きや考え方などにも大きな影響を受けた。
身体に対する熱はどんどん加速し、これはもう新たな道を行くしかないなと、覚悟し今までの仕事に区切りをつけ身体探究の日々が始まった。
新たな武術の門を叩き手ほどきを受け、また気になる身体講習会があれば出向き自分なりのフィルターにかけていった。
そんな研究の日々が続いたある日知り合いの人に、(そろそろご自分の会を立ち上げられたらどうですか)と勧められる。
そしてある場所を借りることになり、1992年第一回目の稽古が始まる。
私自身何の後ろ盾もない自信もない者が果たして指導など出来るであろうか。
指導などとおこがましい、ともに稽古をしていただくのだ。そう心に決意し、第一回目の稽古は自分に気合を入れるために、八日間の断食をしてその八日目に第一回稽古が始まった。真剣でなくてはならないという決意と緊張であったが、最初の生徒は6人、内容は摺り足、正座、礼法、歩き、四股立ち。
この稽古は今でも基礎稽古として大事に行っている。
その後も武術探究、修験道の500日修行、神道の儀礼的所作や、仏教的な心の在り方などを学び、現在は武術を中心に、身体が関わる全てに心を開き、技と道を探究中。
プロフィール
金子 釋護(かねこ ときもり)
言いしれぬ孤独感におそわれ自分とは何かという問いかけが内側に生まれる。自分の存在証明のため身体で表現する事に気付く。体を通した問いかけとなり,意識が外に向かう事を知り,身体探究と自分探究が始まる。500日の自然との関わりを経て,体を通した動きの探究を創める。以後武術の動きに癒すものを観じ1992年より身体動作の探究会を発足。