言霊・発声~気合について

021言葉には魂が宿るという考えが日本には古くからあり、発声した言葉はその事象を表すとされる。言葉とは必ずしも心のままを表現するとは限らない。しかし発声してしまった言葉は心とは裏腹にその通りの事象を成すと考えられている。

ならば心はどうあれ、良き言葉を遣おうと思うやもしれぬ。たしかにそうであるが、言霊にはその奥がある。心のままの言葉と、裏腹の言葉では表に現れる事象は同じに見えるが、発する前の秘めた身体内では全く違う働きを練っている。武術で発される気合。これはただ大きな声を相手にぶつけるために在るものではない。裏腹に放たれた言霊ではそうかも知れぬが、心から練られた言霊が発する気合は、相手とつながり、自分をもう一つの力に導く役目を担うのである。

これは不立文字に近い感覚であるが、体験体感してくるとその意味が感覚として分かってくる。

そして言霊はその場を清める役目を持つ。音そのものにもそういう働きがある。神道でかしわ手を打つのはそういう意味を持つ。

また刀を扱うという特殊な学びに於いて、場とはとても重要であり、浄化されている必要がある。そのためにも当会では稽古前に言霊を重要に考えており発声を練り、気合いに繋がるようその修練をする。

言霊・発声を修練することにより、心の内の滞りを溶かし、浄化された身心となってその場と一体となり稽古に臨んでいる。